衣笠祥雄(きぬがささちお)の訃報!原因は?現役時代の偉業は?引退後の生活は?

こんにちは。

ケチロ~です。

なんとも痛ましいニュースが

流れてきました。広島東洋カープの

黄金期を支えた鉄人:衣笠祥雄氏の

訃報のニュースが飛び込んできました。

今でこそ、カープは連覇を果たし

常勝軍団となっていますが、長い暗黒期を

過ごし前回の優勝を調べると衣笠祥雄氏が

いた1980年代まで遡ることになります。

訃報の原因は一体何なのか?

プロ野球にどんな貢献をしてきたのか?

少し調べてみました。

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衣笠祥雄の訃報の原因とは?

衣笠祥雄氏は71歳が享年となったようです。

24日、まさしく今日のニュースです。

ミスター赤ヘルこと広島カープ一筋で

チームを支えてきた鉄人は

4月19日にも解説をしていたのですが

突然の急報となりました。

その時から異様なかすれ声であることで

テレビ局やラジオ局に心配の声が

あがっていたようなのですが、それから

わずか5日後のこととなっています。

原因は大腸ガンと発表されています。

4月19日にはDeNA対巨人戦の

解説を努めておりこれが公の場に

姿を現す最後の姿となってしまいました。

衣笠祥雄の現役時代の偉業は?

速報で流れるほどの大物である衣笠氏。

やはり現役時代の実績が尊敬を

集める素晴らしいものだったのです。

まず外せないのは2215試合連続出場。

これはいまだに破られていない

前人未到の記録となっています。

年間143試合(昔は130~135試合)

ですから現代の試合数で考えても

丸15年以上休まずに試合に出場

し続けたのです。凄まじい記録です。

1970年10月19日~1987年10月22日まで。

ただでさえ体調管理が難しいプロの

世界で第一線で活躍し続けるその

姿は今更語るものでもないでしょう。

1987年に王貞治氏に次いで

「国民栄誉賞」を受賞されたのも納得です。

通算で2677試合の出場。

歴代5位の2534安打。

歴代7位の504本。

歴代11位の1448打点。

その背番号「3」は広島東洋カープの

永久欠番となっています。

それだけに悔やまれる訃報のニュースです…。

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衣笠祥雄の引退後の生活は?

現役を引退後は主に解説者として

プロ野球界に携わっていました。

WBCやオリンピックでも解説を

していたので普段野球を見ない方でも

名前を聞いたことはあると思います。

張本勲氏とのサンデーモーニングでの

「喝ッ」の掛け合いも見れなくなると

思うと寂しいばかりです。

私から見たら気の優しいおじいちゃん

という印象でしたけど、近くで見たら

とてつもない迫力があった逸話があります。

それはまだ現役時代の頃の話ですが

衣笠氏や山本浩二氏などカープの

黄金期を支えてメンバーが新幹線で

東京に遠征をしてきた時の様子ですが

パンチパーマでいかつい山本浩二氏

などを差し置いて、最後に新幹線を

降りる金色のネックレスで鋭い眼光の

衣笠氏が降りてきた時に

”東京は終わったと思った”という逸話です。

もちろん逸話なんですけど

それだけの迫力がある方だったのです。

今は選手はスマートですし

昭和のプロ野球のような迫力や凄みは

もう出せないんじゃないと思います。

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衣笠祥雄に関するマトメ

衣笠祥雄の訃報の原因とは…

原因は大腸ガンであると発表されました。

直前の解説の際に

声がでていない事で心配の声が

上がっていましたが、その解説が4月19日

だったのでわずか5日後の訃報です。

衣笠祥雄の現役時代の偉業とは…

ミスター赤ヘルと呼ばれ

プロ野球2215試合連続出場。

を達成している”鉄人”でした。

これは未だに破られていない

前人未到の記録です。

1987年には野球界2人目の

「国民栄誉賞」を受賞されています。

通算で2677試合の出場。

歴代5位の2534安打。

歴代7位の504本。

歴代11位の1448打点。

衣笠祥雄の引退後の生活とは…

引退後は解説を中心に

テレビやラジオに出演していました。

WBCやオリンピックなども解説を

していたので馴染み深い声でした。

鉄人と言われた衣笠氏も病魔には

勝てないと思うと悲しくなります。

もちろん人間寿命があるのでいつかは

訪れることですが衣笠氏だからこそ

なかなか信じがたい話です。

プロ野球の大物の訃報が続いているような

気がします。皆さんが健康で長生き

できるよう私も願っております。

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